令和6年1月27日

 稽古の時間に顔を合わせる。これは当たり前だと思えた。様々な予定により休むことがあれば、一定の時期を休会することもある。しかし、それは一時期的なことであり、いずれには再び出戻るは共に稽古を行う。だが、そうではない場合もある。一言に残念ではあるが、それぞれの事情により致し方あるまい。欲を言うなれば、場は異なれども空手を続けられたく、空手道を歩まれたい。

 

 そんな中、ふと振り返るに、どれだけのことが出来たのかと自らを問うてもみる。無論、常に懸命であり、全力を投じ、真摯に向き合うも、それらがどれだけ届いたのだろうかと考える。至らぬがありはしなかったかと不安にもなる。何を以って認められ、何を以って成果とするか、時に迷う。

 

 道をただ真っすぐに歩もうも、時に道が変わりもし、望むべく方向へと進むのが困難となり、歩みを止めねばならぬ状況に陥る。そのような折、何を考え、何を選び、何に向かって進むのか、自らに問う。しばしの時を経たならば、相応の答えを見出さねばならぬが、それが実に難しい。翻るに、出来ることを出来ることからといった当たり前のことに回帰してしまうのだが、至る所、これしかないように思える。

 

 信じるは道なりて 時に迷うも信念を頼りに…