令和6年2月24日

 来る3月30日(土)19時よりご見学、ご体験会を開催いたします。募集の休止をしていましたことより、お問い合わせを頂きながらも対応を出来ておりませんでしたが、懸念だったウイルスも落ち着き、また、新年度を迎えるにあたりまして、再開をしたいと思います。

 

 新年度ということで、一つの区切りとなります。卒業という言葉がある中で、入学、入社といったように新たな場に進まれる時期でもあり、何か新しいことを始めてみよう!といった気持ちが湧けば、初動を起こす時期にも思えます。

 

 この春!武道を初めてみませんか。お子様をはじめ、大人の方も歓迎です。ご家族で一緒に始められるのも良いと思いますし、一緒に出来るのが武道の魅力でもあるように思います。

 

 その動機を大切に致しましょう。お会いできますことを楽しみにしております。

令和6年1月27日

 稽古の時間に顔を合わせる。これは当たり前だと思えた。様々な予定により休むことがあれば、一定の時期を休会することもある。しかし、それは一時期的なことであり、いずれには再び出戻るは共に稽古を行う。だが、そうではない場合もある。一言に残念ではあるが、それぞれの事情により致し方あるまい。欲を言うなれば、場は異なれども空手を続けられたく、空手道を歩まれたい。

 

 そんな中、ふと振り返るに、どれだけのことが出来たのかと自らを問うてもみる。無論、常に懸命であり、全力を投じ、真摯に向き合うも、それらがどれだけ届いたのだろうかと考える。至らぬがありはしなかったかと不安にもなる。何を以って認められ、何を以って成果とするか、時に迷う。

 

 道をただ真っすぐに歩もうも、時に道が変わりもし、望むべく方向へと進むのが困難となり、歩みを止めねばならぬ状況に陥る。そのような折、何を考え、何を選び、何に向かって進むのか、自らに問う。しばしの時を経たならば、相応の答えを見出さねばならぬが、それが実に難しい。翻るに、出来ることを出来ることからといった当たり前のことに回帰してしまうのだが、至る所、これしかないように思える。

 

 信じるは道なりて 時に迷うも信念を頼りに…

令和6年1月6日 稽古初め

 あけましておめでとうございます。新たな年となりました。1月6日が稽古初めとなりましたが、元日早々より大きな地震が起こり、心配の年明けとなりました。これまでならば元気に「おめでとう!」と言えたところですが、その挨拶にも躊躇いを持つ年明けでした。災害のあった地域においては大変な状況が続いておりますが、早い復興を願いまして、心ばかりながらも会より寄付をさせて頂きました。

 

 稽古においては、この時期とても足が冷たく、稽古に集中しようも足の冷たさが意欲を遮ります。よって、いかに冷たさを克服するかが要に思えますが、このような状況下、稽古に来ては元気に励む姿には感心するところです。もはや感動すら覚えます。実質的な稽古の内容よりも貴重な機会となり、翻って考えたならば、むしろ重要な事となり、これぞ鍛錬!と思うところです。

 

 空手におきまして、技などの上達を目的とするのは勿論ですが、空手道におきましては、精神的な部分をも重要視するところです。心技体という言葉がありますが、そこに「心」が入っていることより証であろうと思え、この精神のいかんにより様々な振る舞いを左右するところであろうと考えます。つまりは、精神がしっかりとしたならば、自ずと稽古に対する姿勢も変わり、技の向上になろうと考えます。

 

 また、このような姿勢が健康にもつながり、これを以って心技体なのであろうと!無論、三位一体ではありますが、個人的には「心」を推したく、当道場においても同様とし、子ども達においては、稽古は辛くも帰る際には達成感と共に晴々しい笑顔になればと思うところです。

 

 令和6年、気持ちを新たに共に精進して参りましょう。


令和5年12月30日稽古納め

 12月30日の稽古を持ちまして、令和5年の稽古納めといたします。振り返ったならば様々なことが蘇ります。そのすべてが芳しいものだったならば幸いでしょうが、残念ながら多岐にわたる思いをしたことだと思います。

 

 私自身におきましては「順調は停滞、逆境は成長」という言葉は何度も思い浮かべては、自らを鼓舞して参りました。得られよう結果はあとになってからですが、現時点において逃れては決して求めたい結果を得ることは出来ません。よって、耐え忍ぶべくも前進であり、成長であろうと自らに言い聞かせ、歩みを止めることなく、前へと思うところです。

 

 新たな年を間もなくして迎えますが、その際には気持ちをも新たにし、初心を忘れることなく、信じた道を歩んで参ろうと思います。

 

 これにて私の決意をも信念に納めたいと思います。一年間の稽古お疲れ様でした。


令和5年10月29日

 秋季柏市民空手道大会に参加いたしました。形は9名、組手は5名でした。春に続いて出場した子はもちろん、入会して間もなくも出場した子もおり、様々な部分で緊張感ある毎日を過ごしておりましたが、お陰様を持ちまして、相応の結果を出すことも出来ました。ありがとうございます。

 

 しかしながら、手放しに喜んでいる場合ではありません。それは悔しい思いをされた子もいるからです。願わくばととしたも成果に届かず、晴れぬ気持ちを与えてしまいました。しばしの後には気持ちを切り替えて頂きまして、次の際に挑むべく、日頃の稽古に精力を込めて頂けたらと切願します。

 

 また、思いを成し遂げる為の策を講じなければなりませんが、これまでの稽古内容を崩すことなく、そこに工夫をし、場合によっては区分けするなどにより賄えたらと考えるところです。いずれにしましても今回に得た結果を足掛かりとし、更なる成果をと祈念するところです。

令和5年10月1日

 本日、柏市スポーツ少年団の運動会に参加してまいりました。昨年は手伝いのみにて参加し、いささかさびしい思いをしておりましたので、今年はみんなで参加して…と思っていたのですが、思いのほか他の行事と日程が重なりまして、四家族様のご参加を頂きましての出場となりました。

 

 我々の種目は空手ですが、他団を見まわしますと圧倒的に野球が占め、女子バスケットなども多くの子どもたちが参加しておりました。その意味におきましては、こじんまりとする当団でしたが、全員が程よく種目に参加することが出来たのは勿論、他団にはない未就学児から大人までをバトンで繋ぐリレーは圧巻でした。当然のことながら順位は上がれども、走り甲斐があり、繋げ甲斐のある種目になりました。

 

 日頃の空手ともなれば個人種目ですが、このような機会も時には良いものだと思いました。ただ、ご多忙の中、日程をご調整いただきましてのご参加には深く感謝をいたします。ありがとうございました。私にとりましても貴重な機会となり、当日に至るまで頭を抱えも致しましたが、終えてみれば何とも清々しい気持ちになりました。

 

 昨今の諸事情より打ち上げなどの場を用意いたしませんでしたが、個々のご家庭に置かれまして、互いにご感想をお話くだされば幸いです。また、お陰様で少年団の活動に参加する意義ともなり心より感謝を申し上げます。本日はありがとうございました。

令和5年7月1日

 念願のTシャツが出来上がりました。これまで作ろう作ろうと思いながらも時期を逃しては延び延びになっておりましたが、ショップ様のご協力を頂きまして、良質な素材に格好の良い文字にて作ることが出来ました。価格を抑えるご提案をも頂きまして、当初の予算より千円も安くなりまして、本当に有難いばかりです。

 

 この文字が示す通りに稽古に励みたいと思いますが、言葉通りには安易には行かず、相応の努力と時間を要すことになりますが、この言葉を心に刻むことによりまして、稽古を続けることが出来るように思います。その時その時の積み重ねにより成し得えよう鍛錬。共に頑張りましょう。

令和5年6月11日

 柏市民空手道春季大会に参加いたしました。結果は悔しい思いとなりましたが、これまで元気のなかった子の頑張りを目の当たりにし、どちらかといえば嫌々に来ていた子が悔しい思いに目を潤ませ、また、日頃は笑顔あふれる元気な子が落胆する姿、そのどれもを目にしたならば一言に残念無念です。

 

 ただ、それは私の指導不足、つまりは力不足だったことに尽きますが、私自身が悔しさに打ち負かされ、苦しむのならば致し方ありません。しかし、私自身のことに留まらず、子どもたちの目を潤ませ、それに伴う気持ちを持たせたことが何より悔しいのです。親が子を思う時、痛みなどで苦しむ際、変われるならば変わってあげたいといった気持ちを覚えるも、実現できない現実に苛まれ、共に苦しむといった状況が幾度となくありましたが、そのような思いとなりました。

 

 日頃は勝った負けたではなく、武道を続けることでの人間育成をと宣うも、やはり試合となれば勝ってほしく、むしろ勝たせたい。それを成し得なった結果を受け止めるにしばしの時間を要しては、悔しさが悲しみともなりました。しかし、いつまでも感傷になど浸ったいてはいられません。自分自身だけのことでしたら、好きなだけ浸ればよいのでしょうが、当たり前ですが時間は止まらず、稽古日は訪れます。その際に見せよう私の姿が大事なれと自らを鼓舞するところです。

 

 勝っての喜びに対し、負ける悔しさは誠に残念ながらも、その思いは今後の稽古に向かいての意欲になろうと思え、信じて疑いません。そして、次に迎える機会には是非ともと私自身にも言い聞かせ、稽古に向かおうと思っております。

 

「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」

 

 先日に作りましたTシャツの背中に入れた言葉ですが、この言葉を信念とすべく精進して参ります。

令和5年6月3日

 師範にご足労を頂きまして、稽古の指導を頂きました。主に型の指導を頂き、通常の稽古では対応できない細かな部分の解釈や分解説明など、貴重な機会になりました。今後も時間の許す限り指導を頂けましたら幸甚です。

 

 しかしながら、それと同時に通常の稽古において成せることの限度が見えもし、焦燥感に苛まれ、今後の対応を考えねばと…!ただ、出来ることの限度がなくはなく、また、これまで積み上げてきた稽古の時間を軽視することなく、よりいっそう有意義とすべくと思うところです。

 

 我々が過ごす環境とて様変わりし、その対応にも追われ、取るべく行動に迷いもしますが、ここ最近は風邪を患う人が増えていると聞きます。今一度、身を護るべくの気構えを持ち直し、それぞれに掲げよう目標に向かいて挑んで参りましょう。

令和5年5月6日

 新年度となってから早くも一か月が過ぎた。まったくをもって月日が過ぎるは早いものだと思う。だからといって驚いてばかりはいられず、貴重な時間が刻々と過ぎるという現実を直視せねばなるまい。新年度からは一か月であるが、私たちとって時間が止まっていたであろう期間が三年もあったのだ。今になってようやく落ち着きを見せ、その扱いが変わるらしいが、今になっても尚、マスクの着用は継続している状況でもあり、この三年という期間はいったい何であったのだろうか…

 

 無論、その期間に得たものが少なからずはあったのだろう。しかし、貴重な時間に制限を掛け、行動を封じては身をも硬直させた。更には思考までもを一変させ、ことに成長期なる子どもたちへの影響は大きかったように思う。以前は活発であった子が元気を無くしては稽古を休みがちになるばかりか、いつの間にか姿を見せなくなった子もいる。もっとも全ての理由が一つに限定はできぬが、要因であったことに疑いようがない。

 

 三年という時間の有効性は誰においても同様かも知れない。だが、大人と子どもでの大きな隔たりが内在し、新たな経験、体験をする時期であって、人間関係はもとより、人格形成の構築にあたって大事な時期であるということだ。このような点を鑑み、我々大人は何ができ、何をすべきかと今一度、問うてみたい。

 

 空手道場という場において、成すべくもっともは空手を教えることなのだろうか。もちろん否定はせず、教えはする。だが、教えるということに主眼を置くは違うようにも思う。むしろ、自らが成長するべく手段の一つとしての導きでありたく、教えることで上手くなるのではなく、好きこそものの上手なりということわざが示すような考えと立ち位置でありたい。

 

 本来であれば更に成長し、昇段昇級したであろうも、過ぎた時間が憎くも、ようやく手にしたこの機会、ようやく手にしたこの時間を無意味にせぬように、共に稽古に励み、共に成長すべく、共に精進して参ろうぞ。

令和5年2月25日

令和5年2月18日

 継続は力なり!時折に見聞きする言葉です。しかし、それを口にするのは容易ながらも、実行となりますと結構な労力を必要とします。だからこそ継続は力という言葉が成り立つのでしょうが、継続というのは気力と体力があってこそです。その気力と体力は、気持ちと身体と捉えますと別々のものにも思えますが、実のところ互いに影響し合い、互いに力を貸し合って成り立つものだと考えます。何かを行おうと思ったにしましても、体調を崩していたなら行動できず、また、体調が良くても、気持ちが乗らねばやはり行動に移りません。

 

 そして、稽古を続けることによりまして技を身に付け、これにより心技体という言葉になろうかと思いますが、継続することにより成長し、その姿を目にするや感慨深くもなります。それは個々の成長の中におきまして、ほんの少しだけ時間を共有したにすぎませんが、それであっても共に稽古し続けたことに他ならず、それは力になっていることだろうと疑いません。

 

 何事におきましても同様ですが、目の前にあることに疑念を感じ、時に気持ちが離れることが起こります。その際の決意におきまして、離れる選択もあり、別の新たなことに挑むのもよいことだと思います。ただ、続けねば得られないものが少なからずあり、繰り返しになりますが「継続は力」なのだと思うのです。

 

 そんな継続は時の経過により示され、各々の心に根付くものだと思いますが、目に見えよう形としましてこの日誌を綴ろうと思う次第です。寒さの折、稽古は厳しくも、春は近づいております。開花は待ち遠しくも、まずは皆の頑張ったあとに咲く笑顔を堪能したいと思います。

令和5年2月11日

 それぞれの動機により武道を始める。様々な習い事がある中で武道を選んだその動機に興味を持つところですが、習い事の多くは性別、年齢で区分けされるものが多いように思います。もちろん空手におきまして試合は同様ですが、日頃の稽古におきましては一緒に行います。共に「同じことを行う」ことが有効だと考えます。

 

 この時期なれば寒く、足は裸足です。言葉通りに寒く、足は痛いほどです。だからと言って上着を羽織るだとか、靴下を履くだとか、そのようなことは致しません。単に我慢するということではありませんが、少なからず我慢は必要です。しかし、その我慢に頼るばかりではなく、体を動かすことで体温を上げ、稽古に夢中になることで寒さを忘れてくれたならば本望です。

 

 実際のところ、最初は体を震わせ寒がっておりますが、徐々に熱中し、帰るころには寒さなんてすっかり忘れてしまって、清々しい表情を見せせてくれます。本当に頑張っていると思うのです。時に冷たい言葉を向けも致しますが、それは他ならぬ愛です!!この場を借りましてお伝えさせて頂きます。

令和5年初稽古

 初稽古!未だに感染症が心配の中、元気に稽古を致しました。体温を下げぬように配慮をしつつ形の稽古を中心に行いました。後半はこれまでとは少し内容を変え、初心者、上級者を混合しての組手稽古。様々な組み合わせにすることで、新たな発見があればと思いました。そして、何より元気なままに稽古へ来る!これが最もなことであろうと改めて感じ、今一度の健康管理、今一度の感染防止に留意されたく、令和5年を実りある年にしたいと思います。

 

 そんな中、とある出来事によりまして、痛感したことがありました。それは「共に成長し」とこれまで何度となく言っては記して参りました。しかし、果たして「共に」だったのかと考えたのです。もしかしたら、子ども達は確実に成長しております。それは見るにつけ感じることではありますが、実のところ、自らは成長しているのか…と頭を過ったのです。

 

 これからの稽古において、いや、これからの毎日において、少しでも成長するべく努めねばと思うところです。時に背中を見るといった言葉を見聞き致しますが、それは親ということではなくとも、見られているといった意識を持つことが必要であろうと思え、むしろ、それが最もな指導であろうとも考えました。子ども達に教えていることに留まらず、子ども達から教えられる現実、これは私だけではなく、いわゆる大人が見失いがちな事実だとも思います。まずはしっかりと受け止め認識し、その上での成長をと思いました。

 

 新たな年、新たな意欲と共に、継続は力なりて、精進して参りましょう。

令和4年12月31日稽古納め

令和四年稽古納め。

 

 31日という大晦日の日となり、少ない人数ながらも無事に納めることができました。数という部分においてはいささかさびしくも、年末の最終日の大晦日という日に稽古を行い、稽古のみならず一年を締め括るというのは思いのほか感慨深いものがあります。

 

 遡ること5年になりますが、平成28年にも同じく大晦日が土曜日となり、稽古納めとなりましたが、この時にも少ない人数での稽古納めとなりましたが、このような機会は滅多になく、個人的には大事にしたいと思うのです。勿論それぞれのご予定ご事情がありますから無理強いをすることは致しませんが、滅多にない機会だからこそ…と思うのです。

 

 また、言葉では容易に5年前と言えはするものの、その5年間に稽古を続け、今もなお続けているということは、正に継続は力なのだろうと考える次第です。冬は寒く、足は痛い。夏は暑く、朦朧とする。気が向かない日があれば、時に辞めたくもなる。それでいて続けた。続けてきた。それは他ならぬ力なのだろうと…

 

 31日大晦日。年の最終日といえども寝て起きれば翌日となり、次の日が来る。それは常日頃の毎日と同じであって、時間の経過という面においては何ら変わることはない。だが、区切りとすべく大晦日、そして、元日としたならば、常日頃の毎日とは異なった特別な日となり、一年を無事に過ごせたことに感謝し、新たない一年に希望を待ち、再び毎日を歩む。

 

 道場におきましても同様です。共に精進し継続することで維持することが出来ました。新たな年、気持ちも新たに精進して参りましょう。

令和4年11月26日

 日頃に稽古する姿を見て頂くべく、親御様にお声掛け致しまして見学会を行いました。諸事情により遅れての開催となり、まずは気温が心配でした。体を動かす者には自然と体温が上がりますが、見学するには芳しくない時期でした。その為、いつもは開け放つ扉を閉め、適時に換気をする形に致しました。また、気休めでしょうが使い捨てのカイロをご用意いたしましたが、気温がさほどに下がらなかったのが幸いでした。

 

 さて、稽古内容ですが、準備体操を済ませた後に基本動作、移動稽古、ミット蹴り、演武、そして、自由組手と致しましたが、どのような感想を持たれましたでしょうか。こちらの対応に不十分なところは多々あったかと思いますが、何はともあれ、お子様が元気なままに稽古していたことが良かったように思います。

 

 しかしながら、親御様に見守って頂きますとお子様も嬉しいのでしょうか。いつもより気合いが入るといいますか、キレがあるといいますか、すべてにおきまして素晴らしいのです!ことにミット蹴りの際にはこれまで見たことのないような俊敏な蹴りを見せる子もおりました。その意味では本来に持つ力を引き出せていなかったと言う反省点にはなりますが、このような機会を作れたことが良かったと思います。

 

 お忙しい中、また、夜という寒い時間帯に足を運んでくださいましたことに改めまして感謝いたします。また、地味な稽古ではありますが、お子様が頑張っている姿を目にして頂きまして、その頑張りをお伝えすることが今回の最もな目的でしたが、そのあたりを成し得たのか不確かながらも、今後も共に精進して参る所存です。お時間を頂けましたことに感謝いたします。


令和4年7月30日

 第五土曜日は稽古を休みとし、自らの時間とする。日頃は容易く口でものを言ってしまうが、自らは出来ているのかと問うては、自らと向き合う。ひとり繰り返し同じことをしては、書に目を向け、文字にて学び、再び繰り返し同じことをする。

 

 時が過ぎるは早い。過ぎては戻らず、どう過ごすも時は過ぎゆく。どう過ごそうか!できる限りのことをすべく、できることを成す。成すべく、この空間に身を置く。それは、なんと贅沢なことであろうか。この空間を独占できるのだ。この空間に流れる時を独り占めできるのだ。

 

 この恵まれし身に心より感謝である。そして、我は繰り返す。時が過ぎるままに…


令和4年7月16日

 春の体験会の際にお越し頂いていたのですが、諸事情によりまして、夏からのご入会になりました。暑い時期からの参加となります為、いささか稽古が辛いと思われるでしょうが、そこは耐えて頂きまして、まずは暑さを乗り越えましょう。この暑さが恋しくなる時期も後には訪れます。

 

 これにてご入会を予定しておりました方がすべて参加となりましたので、今しばらくは現状のままとし、新たな募集は当分の間いたしませんので、お含みおきの程よろしくお願い致します。

 

 また、当面の稽古内容におきましては、秋に予定しておりました大会が中止になったことより、形を中心に行いまして、来る試験に備えたいと思っております。

 

 しかしながら、暑い日が続きますね。くれぐれも熱中症にならないようにご注意ください。また、稽古におきましては、熱中症が気掛かりながらも、感染防止、また、濃厚接触者とならぬ配慮と致しまして、現状のままマスクを着用する形にしたいと思います。但し、適時に各々マスクをずらすなどして、呼吸を整え、暑さを回避して頂きたく、向かい合っての会話の際にはマスクを戻し、口を覆った状態にて会話をされてください。

 

 気温が高い為、熱中症を防ぐ対処は致しますが、空手に対する意欲は冷まさぬようにお願い致します!!


令和4年7月2日

 真新しい道着!なんとも美しいですね。帯に至りましては徐々に色を変えてほしくも、この空手着においては白さを保ってほしいように思います。私自身、稽古後に選択するのは勿論ですが、洗濯機へ入れる前に自らの目にて汚れを確認し、目立つ汚れには専用の石鹸を用いましてゴシゴシしておりますが、どうしても黄ばむと言いますか、その白さを保持することは難しいように思います。よって、故意に道着を汚すような行為は慎みたく、稀に床に寝転んで遊んでしまう子がおりますが、ひとつの経験としまして、一度は洗わせてみるのも良いように思います。

 

 そんな中、色に染まるという言葉がございます。説明は不要でしょうが、この意味におきましては様々な色に染まってほしく、帯の色が変われば、人という成り立ちの色をも変えてほしいところです。しかし、単に色が変わればよいということでもなく、積み重ねましての変化を望み、それでいて初心を忘れることなく…

 

 空手の稽古を通しまして、どれだけのことが出来るのかはわかりません。しかし、共に稽古に励み、共に継続する先には、相応の自信になろうかと思います。時間の積み重ね、これは簡単に出来ることではなく、初動より継続せなば成し得ず、積み重ねた直後から再び時間は流れます。流れてしまうものを積み重ねる。簡単なようで実に難しくも、このように歩んで行くことが道なのだと思います。空手道!邁進いたしましょう。


令和4年6月18日

 今現在、新たな会員の募集はしておらず、ご紹介による場合にのみ対応させて頂いているのだが、一日だけの体験という形でのご参加を頂いた。それというのは通うのには遠く、いずれにしても入会は難しい。だけれども、当方において体験をしたいというご希望によるものだった。せっかくのご縁であり、ご希望であるから快諾したが、一度でも稽古を一緒に行い、真剣な眼差しと受け、頑張る姿を目にしたならば、今後も一緒に!と心境的には思う。

 

 様々な理由があって、いつ何時、予想せぬ出来事が起こりもし、時に巻き込まれたりもしてしまうが、咄嗟に取りうる行動が事後の状況を左右する。必ずしも適した行動ができる訳でもなく、これまでを省みたならば後悔めく念がなくはない。ただ、常日頃より考える機会、また、歩むべく言葉を耳にしていたならば、少なからず悪い状態へは向かないように思う。すべての状況は印象によって対応が変わりもするが、そこに常日頃に持たれている印象が加わる。よって、日頃の振る舞いには礼儀はもちろんであるが、礼節をわきまえ重んじたく思う。


令和4年6月11日

 夏を前にして考えることがある。それは熱中症だ。ただでさえ暑く、室内での稽古であって、そこにマスクの着用となれば状況は悪化する。よって、稽古内容を工夫すると共に、短めの休憩を多く挟み込もうとは思うものの、動き出したならば瞬時に暑くなる。もちろん感染に対する配慮は続ける。だが、熱中症というものは実に恐く、既に学校での部活等においてはマスクを着用していない状況らしく、念の為、学校側、そして、携わる団体に確認し、今後は適時にマスクを外すなどの対応を講じようと思います。

 

 ようやく…と安堵するも、日頃に過ごす環境下において「感染した」「濃厚接触者となった」といったことが耳にも届き、まだ油断はならないと気持ちを改める中、稽古においては誰よりも多く言葉を発し、また、度量を上げてしまう為、私個人においてはマスクを着用したままの稽古にしようと考えています。

 

 制限のある中での稽古ではありますが、一時期のまったく稽古ができない状況から考えましたら、それはありがたく、稽古できる時間が貴重だと痛感します。どれだけの時間を失ったのでしょうか。勿論その間に個々での取り組み、また、考えることによっての効果もあったろうとは思いますが、実質的な機会の損失は紛れもなく存在しました。それを少しでも取り戻すべく、今一度の決心と共に、気温の暑さには憂いてしまうものの、情熱の暑さは燃えたぎらせて参りたいと思うところです。


令和4年6月4日

 そろそろ本格的な稽古ができるよう気配の中、念の為に未だにマスクを着用したうえでの稽古としている。聞くところによれば、学校などでの部活動やクラブでは既に着用していないらしく、それは屋内外を問わずのこと!ならば、当道場も…と思うところだが、決断するまでには至らなかった。その理由は言わずとも知れた感染予防であり、大人が子供に…という配慮に他ならない。

 

 だが、新たな懸念材料が頭をもたげる!それは、気温の上昇による熱中症だ。出入口や窓という窓を開け放つも、屋内という状況に加え、やたらと動き回る。場合によっては無風のことがあれば、それに加えてマスク着用となれば、もはや熱中症を誘発する状況に陥る。よって、適した距離感を保つ上で、相応の稽古内容としたい。

 

 これまでにない環境の中で過ごすことを強いられ、あるべく機会の損失、時間の消耗等がありはしたが、その全て無意味、無駄であったとは考えたくはなく、改めて護身という意味合いを身をもって経験したことだと思う。過ぎた時間は決して戻っては来ぬも、過ぎた時間を生かしつつ、今後の生活はもとより、思う存分、稽古に励もうぞ!!


令和4年5月28日

 昇級試験を前にして、今一度の確認をするべく、真剣に耳を傾ける。常日頃に頑張る姿とは少し違った雰囲気を出す。自ら率先して質問に来る。そのような姿を目にできることは実に嬉しいものだ。よって、しばし様子を観察するも、それは懸命なる真剣な眼差しだった。ただ、この質問の向けどころが私にではなかったことがいささか寂しくも、そのような振る舞いは一言に讃えたい。


令和4年5月7日

 新年度!新たな機会に新たな動機によって新たな行動をする。春季の会員募集にてご入会を頂きました。多くの道場がある中で当道場をお選び頂きましたことに感謝いたします。

 

 実のところ、ウイルスによりまして稽古が儘ならず、お問い合わせを頂きながらも応えることが出来ておりませんでした。その為、ようやくという状況ですが、せっかくの機会を損なわせてしまった方もおり、その点は心苦しくも、抱きました動機を何らかの形で行動に変えて頂けたらと思います。

 

 しかしながら、まだまだ油断ならない現状ですから、引き続き感染防止の処置を続け、できる範囲での稽古とはなりますが、得られる時間を無駄にせぬようにと思います。これから気温が高くなり始め、マスクの着用が邪魔なだけに留まらず、熱中症を誘発する為、配慮すべく事柄が増え、いささか煩わしくも、ものは考えようですから、このあたりも稽古の一環と捉え、精進して参りましょう。


令和4年4月16日

 三回目の接種を受けました。結局のところモデルナを三回です。二回目の際、寝ている間に発熱をしたらしく、朝に目覚めた際には結構な寝汗をかいていました。その為、三回目ということでかなり身構えていました。それも周囲で先に受けた人から、モデルナの三回はまずいよ!それはやばいぞ!などと好き勝手に脅かすものだから余計です。

 

 発熱には水分補給が効果的と耳にし、摂取する以前から多量に飲み、病院で小一時間ほど待つ間にも既にトイレが近く、先走りすぎたと思うもトイレは近く、三回くらいは行ったように思います。もちろん着いて即座に行ったのと、念の為、帰りに寄ったのは除外です。それですから注射にビビッての頻繁なトイレだと不覚にも見えたように思います。

 

 事実として注射にはビビっていましたが、それはあくまでも副反応のことであって、実際に挿すことにビビっていた訳ではありません!わかってくれているとは思いますが、念の為に書いておきます。献血の際に挿す針に比べてたら細いですし、一瞬ですから…とこのあたりをくどく言う必要なないですよね…。結果としましては、発熱もなく、変な怠さもありませんでした。ただ、接種した直後から腕が痛かったのですが、幸いにしてその程度でした。

 

 ただ、個人的にはワクチンなど打ちたくはなかったのです。日頃から服薬を拒み、我慢しておりますので、よくわからないワクチンなどは殊更です。断固として拒みたかったのです。しかし、接種いたしました。その理由は、なんだと思いますか…

 

 それは、子供たちの為です。当初は大人だけがワクチンを打ち、子供は後回しでした。もちろん相応の理由があってのことだったろうと思いますが、移してはいけなかろうと思ったからです。子供たちの未来を思ったならば、受けるが当然です。その為に打ちました。様々な考え方がありますが、未来ある子供たちに対しまして危険度を高めてはなりません。菌に負けたような感覚さえ持たされましたが、子供達を護ったと思えば…

 

 精進する武道、空手道は護身です。よって、接種もひとつの護身と捉えたいと思います。自分の身を護り、大切な人の身を護る。これにて本望となります。


令和4年4月9日

 ご見学ご体験をご希望される方をお招き致しまして稽古を行いました。まん延防止等重点措置などを理由としまして、長い期間ご見学等の受け入れをせず、お待ち頂く形になっておりました。実に長くは一年を経過しており、機会の損失という面からは心苦しくも、いかんせん目に見えぬウイルスがまん延し、防止せねばと!肝心の稽古とてままならず、余儀なく休止となりました。

 

 ようやくです。ようやく再開が出来ました。しかし、ここで油断をしてはならず、感染防止の処置を引き続き行い、稽古の内容も様子を見つつ対応していこうと思っております。

 

 そんな中、長い間お待ち頂く中で、この機に足を運んで頂いた方、ようやくお会いできたことが何とも嬉しく、入会を問わずとも、ひとつの新たな体験の機会となって、今後に過ごす日常の中に少しの変化が生じたならば、それだけで幸いです。もちろん待てずに他の道場へ入られた方もおりますが、場は異なれども、同じ道を歩む故、共に精進いたしましょう。

 

 また、このような期間の経過によって、これまで続けて来たけれども、様々な諸事情によって、気持ちが離れ、足が向かずに会えぬ子もおります。正直なところさびしくも、あえて声掛けをせず、時を待とうと思っております。よって、こちらからのお問合せ等は慎みますので、決して忘れたとか、そのようなことではないことをこちらに記しておきます。何かの折、出戻るも、気ままに立ち寄るも、それはそれで歓迎です。元気な笑顔を見せに来てください。

 

 時は流れ、刻々と過ぎていったしまうものです!しかし、共に稽古した時間、それぞれに頑張った記憶、それは個々の心の中に刻まれ、いつまでの残るものだと思っています。この先、様々な変化があるのかもしれません。自信を無くしそうになった時、心に刻んだ記憶を思い出してください。頑張った自分がいる筈です。思い出しては自信に変え、乗り越えていきましょう。そして、乗り越えたならば、また頑張りましょう。

 

 今日という日を大事にし、このような機会に恵まれましたことに感謝いたします。


令和4年4月2日

まん延防止等重点措置が解除になりましたので、稽古を再開いたしました。


令和3年12月26日稽古納め

 ここのところ全員が揃っての稽古ということが少なく、いつも誰かが休んでいる状況だけれども、それも致し方ないことだと考える。ウイルスが完全に収束した訳ではなく、未だに配慮せねばならず、写真のようにマスクを着用した上での稽古となる。よって、予防という見地からすれば致し方なかろう。

 

 無論、予防すべく除菌は入場する際には都度おこない、寒くも換気を行う。早い収束、強いては服薬などの対処に期待を委ねるが、まずは出来ることを手抜かりなく行い、稽古の内容とてつまらくも配慮する。時に道場の閉館、さもなくば、休止といった内容が耳に届き、当事者ではないながらも残念に思う。そう思えば、現状のように稽古ができることは感謝の一言である。よって、無理強いすることなく、場を護らねばならず、これとて護身の範疇であろうと考えたい。

 

 落ち着いた際、全員が揃っての稽古としたく、煩わしいマスクなど取り去って、これでもかというくらいの気合いを発したく、待つも修行と言い聞かせよう。

 

 これにて年内の稽古納めと致します。


令和3年12月11日

記念写真!

 

 その多くはその瞬間を記念として残すことを目的として撮ることだろう。勿論この写真とて同様のこと。だが、一般的な記念写真とは大きく異なる背景がある。それは継続である。写真が捉え、残す画は一瞬なれども、ここに至るは相応の時間と努力、更には忍耐をなくしてここには至らぬ。故に、この一瞬を撮るは言葉通りに一瞬なれど、その経緯を知っての撮影なれば感慨深くもなる。

 

 気付いたならば、背が伸びたなら、顔の表情とて違う。目を潤ませたことがあれば、素直に聞き入れられなかったこともあったろう。だが、続けた。続けてきた。その重ねた時間の重みが加わる一瞬なのである。

 

 親子で共に続けた。時には親の立場として辛い場面があれば、手を貸してしまいたいこともあったろう。しかし、稽古となれば自宅での関係とは異なるが為、少し離れた場より見守っていたのだろう。そんな背景を知ってのこと故、この一瞬を収めるにも思いが入る。良い写真が撮れたように思う。そして、継続は止まらない。


令和3年10月30日

 白帯の特訓!個人的に「白」は好む色なれど、帯ということに関しては早めに変わったほしく、後日に控える昇級試験に対する稽古をしている。本来ならば19時より開始の稽古だが、一時間弱ほど早めに来ての稽古だ。その結果、3時間弱という稽古時間となり、疲れもすると思うのだが、最後まで元気なままに稽古するものだから大したものだと思う。

 

 それもこれもウイルスによって稽古が行えず、中途半端なままに休止となり、時間だけが過ぎてはもどかしく、再開と喜べば再びの休止!せっかくの機会だからと意を決すも、子供たちの反応が心配だった。なんせ3時間は長く、途中で飽きてしまうのではと心配したが、それは要らぬ心配だった。小さくも頑張る姿にはいつもこころ打たれる。

 

 だが、打たれてばかりはいられず、その意気込みに応えねばならぬ!よって、我も気合いを入れ直し、共に頑張ろうぞ!!


令和3年9月18日

 緊急事態宣言の延長によりまして今月末まで施設の使用が禁止となり、その結果、稽古も月末まで休みになりました。何度となく休止しては再開し、ようやく軌道に乗れるかと思えば再びです。おおよその予想は付き、それ故に焦る気持ちを抑えつつ、少しでも時間を無駄にせぬようにと必死になったものの、現状のような状況に陥ったならば、ただただ残念でしかなく、せっかく感覚を戻し始めた子供達も中途半端なままに…

 

 この後の展開がどうなるのかと考えるも、無策にも時期を待つ他なく、それが待ち遠しくもじれったく、現状に於いて何か出来ぬかと抗いはするものの、これといった有効な手段がなく、個々の努力に期待をしてしまうのだが、ただ憂いていても仕方がないから、出来ることは行おうと思う。

 

そんな折、過去の写真などを振り返れば、誰もが初々しく、それは新鮮であり懐かしく、続けて来たからこそ初々しく見て取れ、懐かしくもある。だが、続けて来ねば印象は様変わりしするに違いなく、こうして思いに耽られるのも良い機会に思える。無論、稽古の時間がと気は揉むけれど、今後に於いて時間という存在の価値観が変わり、有意義になればと願う。よって、何事も悪いことばかりではないと考えを改め、今後の機会に生かせればと思う。

令和3年8月14日

 お盆ということで稽古は休みとなる。せっかくであるから時間を有効に生かすべく、動画を…!と試みるも、これがどうも上手くいかない。立て掛けてみれば天井を写してみたり、だからといって垂直気味に立てると今度は倒れる。かろうじて良い感じになったかと思えば、途中で倒れる。挙句にはろくすっぽ満足な録画ができないままに電池切れ…

 

 誰かの手があれば…と思うも本日は休みとした。仕方なしに何度かトライし、どうにかこうにか録画をしたも、いまひとつな出来となる。だが、良い感じで進んだならば途中で倒れ、最後まで無事に終え、さてと確認すれば顔から上の部分だけ!とまぁ不満足な時間の経過に苦しむも、どうにかこうにか、差し当たり撮りはした。なので、せっかくであるから閲覧できるようにはと思うのだが、単に閲覧することなく、このような苦しさを乗り越えた結果に…という顛末を含み置き頂いての閲覧とされまるよう予めお伝えしておきます。

 

 後日「会員写真」もしくは「臨時特設」に貼ります。宜しくお願い致します。


令和3年7月31日

 第五土曜日!本来はお休みとしている。場合によっては組手稽古などに特化した形で稽古を行うこともあるけれど、基本的には休みとしている。しかし、蔓延防止処置から緊急事態宣言へ切り替わる旨の情報を耳にすれば、またも稽古ができなくなるのではという危惧より、できる際にはできることをと休みとせずして稽古を行った。

 

 幸い今回の緊急事態による制限は20時以降の施設使用の禁止ということで、通常は19時より21時での2時間を稽古時間としていたけれど、なるべく多くの稽古時間を確保するべく、今現在は18時より20時での稽古としている。もっとも時間的に参加の難しい方は19時より稽古を行う。そして、あくまでも感染の防止をするべく、暑くもマスクの着用、適時の消毒、そして、大声を発せぬ稽古としている。

 

 だが、大声どころか、声を発せぬ稽古というのは何とも味気なく、これが空手か?とつい問いたくもなる。本来ならば気合だ!と言いたくも、静かにと…!ただ、声を発せずも内なる気合は込めたく、むしろ、声が無くとも気合を込めていることが伝わるのであれば、それはそれで効果があろうと思える。すべてが力任せに行えば良いわけでもなく、ましてや、剛柔流なれば「剛」と「柔」を使い分けたくも、同時に持ち合わせたくもあり、それ故に稽古に励むものと考える。

 

 何はともあれ、できないことを嘆くのではなくして、できることを行い、できることから行う。そして、できることがあることに感謝の意を携え、下向きに努力をされてく思う。何事においても同様なれど、空手という括りに限らず、精進するべくの気構えとしての行動になれと…


令和3年7月24日


令和3年7月17日

 急遽の記念写真。7月いっぱいで渡米される旨をお聞きしていましたが、予定が早まったらしく、この日の稽古にて休会となりました。実際には退会であろうとも、あえて休会としてみたく、先々の機会に…と思うからですが、是非とも渡米先でも続けられてほしく、帰国した折には顔を見せに来て頂けたらと思います。

 

 しかしながら、改めて思うのです。継続とは力なり!単純に止めねば続けていることにもなるのでしょうが、実質的な意味での継続は思いのほか精神力が必要です。もちろん体力も必要ですが、気が向かねば怠けることにもなり、終止を左右するは精神力だと思うのです。ましてや、厳しい状況下に於いても継続するというのは決して容易いことではありません。それ故、継続が力となるのでしょうが、このあたりの大切さはきちんと伝えておきたいところです。

 

 そして、継続。続けたくとも困難な場合もあります。現状とて未だにウイルスの収束が見えて来ず、感染者は増えるばかりです。おそらく再び宣言が出されることもあろうと考える中、施設の使用が禁止となれば、続けたくとも一時は休止が強いられ、このような状況時に気持ちが離れてしまうことがあり、ひとたび離れたならば、徐々に億劫となって、その後には辞めることにも…

 

 無論、始めることがあればやめることがあって自然のことでしょう。ただ、せっかく始めたのであればと考えますし、動機さえあれば始めるのは簡単だったりもします。しかし、それを続けていくというのは難しいのです。改めて繰り返します。継続は力なり!


令和3年7月10日


令和3年7月3日

 ようやくの稽古再開です。まだかまだかと待っておりましたが、ようやくです。しかしながら問題となっていたウイルスの収束を見た訳でもなく、事態は未だに継続しており、決して油断をしてはいけぬ状況です。従いまして、再開ということに安堵するも気は緩めることなく、帯と共にしっかりと締めておきたいと思います。よって、当面は事前の検温、適時の消毒、そして、マスクの着用を講じようと思います。

 

 周囲を見渡したならば、グランドで行うスポーツなどはマスクの着用をせず、また、同じような場にて稽古を行うも、不思議と講じない団体があるということを耳にも致しますが、学校の施設をお借りしている状況からも、そのあたりは厳重にすべきであろうと考えます。今後は気温が高くなりますので、その点に於いての配慮も必要になりますが、稽古の時間が減少しようとも適した感覚での休憩を挟み、無理のない範囲での稽古にしたいと思っております。

 

 なにはともあれ、稽古の再開が出来たことが嬉しく、元気な笑顔に再び会えたことが喜びです。まだ再開後に会えていない子供さんもありますが、元気で過ごされていることを願いつつ、先には再び稽古に来られるようにと願うばかりです。

令和3年5月22日

 コロナ渦いかがお過ごしでしょうか。依然として感染者数が落ち着くことなく、そのような報道ばかりを見聞きするように思えますが、様々な事柄が起こる毎日に於いて、問題はコロナだけというような状態にいささか不安を覚えたりします。このような際、気付かぬ間にあらぬ法案が通っていたり、目を向けねばならぬことに目が向かぬことも多いように思います。だからといって、このコロナを軽視して良いものだとは思いませんが、少なからずは感染することのないように予防しつつ、また、日頃から健康への意識を持ち携えたく、ことに大人は生活習慣に留意を致しましょう。

 

 そんな中、新たな板を作りました。これまではスポンジ的な物にて当てとしていましたが、今回は皮です!何気に出来が良いのです。いっそうのことネット販売をしても売れるのでは…と思うぐらいの出来です。これをいくつか作りまして、稽古の再開時に持参いたします。

 

 その稽古はいつに再開できるのでしょうか。冒頭にも書いたようにコロナが落ち着いてくれねば再開が出来ず、周囲を見渡したならば稽古を行っている道場もあれども、実際の感染リスクというより、にわかな感染予備者となる状況がまずいと思うのです。ひとたび感染者と判断されたならば一定の時間の拘束、家族などへの影響を鑑みた際、やはり強行は控えるべきだと考えます。もちろん憂いはします。しかし、現状に於いては仕方のないことだと思います。個人的な考えでは不服を抱くも、団体という見地からすれば従うまでです。

 

 良くも悪くも考える時間が出来ました。これまで週末の夜なれば稽古ということで予定を入れることなく、それが当たり前となっていました。急に時間が空いたから何をしてよいのか…というような声も届きます。せっかくですからこれまで出来なかった過ごし方をするのも良いと思います。また、この時間は空手に費やすと決め、自ら行うのも良いと思います。無論、後者であってほしくも、時に気分転換もよいのではないでしょうか。すべては解釈次第です。ストレスを抱えやすい昨今、このコロナ渦により影響が広がっています。その為、それぞれの発散方法にて病むことなく、心身ともに健康であろうと思います。どうしても発散ができないという方がおられましたら一報ください。手賀沼にて一緒に走りましょう。

 

 待つは収束ですが、直近においては蔓延防止処置の解除であり、その時期は今月末ですが、見通しは不透明ですね。いかんせん感染者数がそれと、減りません。くどいようですが、その数を増やすことなく、個々にできる対処を講じ、それを維持継続し、また、周囲に広めて参りましょう。

 

 最後にお伝えしたいことがあります。それは気合いです!すべては気合いで乗り越えられるものと信じております。精神論であり、それこそ不確かな存在だと言われることもありますが、病は気からという言葉もあります。そして、信じる者は…!その宗教の信者ではありませんが、気合いによる効果に於いては信者です。信じて疑いません。ということで、気合いを念頭に置きつつ、心に置きつつ、過ごしたいと思います。


令和3年4月17日

 何事も基本が大事!ということで基本の大切さを伝えつつ稽古を行う。実のところ派手さはなく、どちらかといえばつまらぬ稽古ともなる。しかし、繰り返しになるが基本が要となり、先々には形を行う際に重要となる。重要というより基本が出来ずして形を行ってみたところで不十分となり、至るは基本に立ち戻ることになる。それならば、この時点できちんと理解し、体感として覚えてほしく、それ故にいささかしつこくもなってしまうのだが、その点は先々になって困らぬようにと!そして、先々になって理解されようと!

 

 そんな春先、何かを始めようと思い立つ時期でもあり、その機会となれば有意義としたく、始めたのならばより長く継続されたく、共有する時を無駄にせぬようにと思う。まして、その時の確保が不確かな現状に於いては、与えられよう限られた時に後悔をすることなく、真剣に、真摯に、稽古に励みたい。限られた時、大事にされたい。


令和3年4月10日

 ミット蹴り!子供達に人気の稽古である。もちろんアンケートを取った訳ではないが、見ていてそんな風に見て取れる。それに対して形などは退屈なのか、飽きるのか、目を離すと棒立ちしていたりする。この二つを比べたならば、どことなく頷けもするのだけれど、どちらかといえば形を優位に置きたく、昇級試験の際には要だ。よって、重ねた言葉により伝えている筈だが、いまひとつ胸の奥には届かず、これが現時点での我が課題だったりする。

 

 しかしながら、元気に振る舞い稽古する姿は何とも微笑ましく、見るに満足となる。無論、気合を入れて、きちんと蹴ってなどと思うところがあるも、元気に稽古する姿は繰り返しになるが満足に達す。コロナ渦の中、大人子供を問わずして相応のストレスを抱えるものと考える。その中で、休むことなく稽古に励む。その時点で既に褒めたく、親御様に於いては最初の期待になろうかと思う。

 

 稽古内容には制限があり、ご覧のようにマスクを着用する。実に苦しく、その分だけ力を抜くことにもなるのだろうが、まずは稽古できることに感謝し、継続できることに感謝し、多くの笑顔に出会えることに感謝したい。もちろん忘れてはならぬ気合いをも入れ、礼節を重んじ、心身ともに健康であれと…


令和3年4月3日

 新年度、最初の稽古。まだ春休みではあるものの、間もなくして進級する。ことに六年生だった子は中学生となる。実質的には間もなくといった状況ながらも、その面持ちはこれまでとはどこか違って見えた。やはり小学生という言葉の響きと中学生ということでは意識も違ってくるのだろうと思う。中学生になれば部活などもあり、継続が困難となる場合も少なくないが、幸い続けられるとのことだったのでこちらも嬉しい。

 

 徐々に暖かくなり春めく陽気の中、夏を迎えるまでが体を動かしやすく、とても良い頃合いである。ただ、ウイルスの影響による感染者の防火が気掛かりで、その対策からマスクを着用しての稽古としているが、実にこれが煩わしく、また、本来すべく内容の稽古ができない状態であり、早期の改善、対策をと願うも、ここは根気を持って応じねばならぬと言い聞かせる。当面は限られた条件下の稽古となるが、これも一つの修行と捉えようと思う。


令和3年3月27日(稽古再開)

 緊急事態宣言の解除を持ちまして、当道場の稽古も再開です。春先ということで体を動かすにも良い気候であり、そのような意味に於いては良かったように思う。なんてたって1月2月の寒さは半端なく、ことに素足での稽古となるは冷たく、立っているだけでも辛い。だが、稽古に夢中になるはいつしか冷たさなんて忘れて、稽古に没頭するのだから、それはそれですごいことだと思え、そのような経験は貴重であって、そのような体験をすることで経験となり、至るは身体のみならず精神の鍛練になるものと考える。

 

 コロナによる施設使用の制限より稽古が出来ず、相応の鬱憤を抱えることにもなったけれど、それもひとつの経験であって、今回の顛末よりオンラインという新たな試みが生まれ、そのどれもが解釈次第で貴重な機会になるのだと思う中、三カ月ぶりに集うは、驚くほどの成長をしており、身長が伸びていれば声さえ変わる。そして、元気なままに来る姿が一言に嬉しく、場合によっては続ける意欲がなくなって…とも覚悟していた。だが、いまのところ誰からもそような連絡、声を聞かない。

 

 限られた時間、再び宣言等によって制限されるかもしらない。よって、時間を決して無駄にしたくはない。第一回、第二回という制限を経て、学び考えたことがありはするけれど、願わくば平穏な日常であってほしく、限られた時間を有効にしたい。

 

 新年度!気持ちをも新たにするべく、まずは時間を無駄にせぬことより始めたく、今一度の気構えを持たれたい。


令和3年3月20日(オンライン)


令和3年3月13日(オンライン)


令和3年3月6日(オンライン)


令和3年2月27日(オンライン)


令和3年2月20日(オンライン)


令和3年2月6日(オンライン)


令和3年1月30日(オンライン)

オンラインにて稽古指導。

 

 コロナウイルスによる影響で施設の使用が禁止され、仕方なしに稽古を休みとしていたが、いつまで待てばよいのかと憂いては病んでも来る。昨年の緊急事態宣言が発令された際には屋外での稽古をと計画をしたものの、感染リスクがなくはなく、結果としては実現が出来なかった。そこで過去に撮り溜めた動画の視聴による自己練習の形としてみたが、その効果は薄かったものと省みる。

 

 そんな折、師範より提案を頂いた。オンラインでの稽古だ。今や会議やセミナー、様々なイベントが配信され利用されている。それならば行ってみる価値はあり、手をこまねいていては何も始まらない。

 視聴するにあたっては不慣れから生じるもたつきが多少あったものの、初回にしては満足な時間になったように思う。むしろ、自宅で行う様子が微笑ましく、画面越しながら見る姿がどこか懐かしくもなり、それでいて親近感を改めて頂くといった不思議な感覚を得る機会となった。

 

 当面はこのような対応にて稽古を行い、収束を待つことにするが、物事を判断し、決断する。そして、躊躇わぬ行動!今一度、学んだように思う。これまで幾度となく学びと思う事柄に出くわし、頭を打たれたような思いとてあった。だが、必死に耐え、頑張ってきた。足らぬ努力、続ける忍耐力、創造する発想力、そして、行動力。空手といった武道のみならず、この学べる機会には深く感謝であり、今後の人生に於いても師範とであって、少しでも近づけるように精進せなばと思う。


令和3年1月9日(稽古休止)

 新年ですね。昨年はコロナウイルスにより様々な部分で影響を受けました。社会的な打撃はもちろんですが、私たち道場に於きましても施設が使えないことより稽古がならずして、もどかしくも耐える時でした。新たな年にはと期待を持ったものの、どうやら収束には至らず、今しばらくは耐えることが必要のようです。

 

 実際のところ、土曜日の夜は稽古という日常だったが故、この時間が空くというのは他ならず空虚となり、腑抜けというか、腰砕けというか、適した言葉が思い浮かばなくも、共に稽古を続けて来た身には伝わるものだと思いますが、何とも残念でなりません。だからといって強引に振る舞ったのちに感染したとなっては言語道断であり、それこそ残念であって、忍耐が足らぬことになります。よって、現状にあがくも身の振る舞いには節度を保ち、許されよう範囲の中での行動としたいものです。

 

 出来ぬことに憂いを持つよりも、出来ることに希望を持ちたく、耐えることによる学びがあるものと疑わず、止まろう時間も止めぬ成長でありたく、これぞ抱負としたい所存です。