令和5年5月6日

 新年度となってから早くも一か月が過ぎた。まったくをもって月日が過ぎるは早いものだと思う。だからといって驚いてばかりはいられず、貴重な時間が刻々と過ぎるという現実を直視せねばなるまい。新年度からは一か月であるが、私たちとって時間が止まっていたであろう期間が三年もあったのだ。今になってようやく落ち着きを見せ、その扱いが変わるらしいが、今になっても尚、マスクの着用は継続している状況でもあり、この三年という期間はいったい何であったのだろうか…

 

 無論、その期間に得たものが少なからずはあったのだろう。しかし、貴重な時間に制限を掛け、行動を封じては身をも硬直させた。更には思考までもを一変させ、ことに成長期なる子どもたちへの影響は大きかったように思う。以前は活発であった子が元気を無くしては稽古を休みがちになるばかりか、いつの間にか姿を見せなくなった子もいる。もっとも全ての理由が一つに限定はできぬが、要因であったことに疑いようがない。

 

 三年という時間の有効性は誰においても同様かも知れない。だが、大人と子どもでの大きな隔たりが内在し、新たな経験、体験をする時期であって、人間関係はもとより、人格形成の構築にあたって大事な時期であるということだ。このような点を鑑み、我々大人は何ができ、何をすべきかと今一度、問うてみたい。

 

 空手道場という場において、成すべくもっともは空手を教えることなのだろうか。もちろん否定はせず、教えはする。だが、教えるということに主眼を置くは違うようにも思う。むしろ、自らが成長するべく手段の一つとしての導きでありたく、教えることで上手くなるのではなく、好きこそものの上手なりということわざが示すような考えと立ち位置でありたい。

 

 本来であれば更に成長し、昇段昇級したであろうも、過ぎた時間が憎くも、ようやく手にしたこの機会、ようやく手にしたこの時間を無意味にせぬように、共に稽古に励み、共に成長すべく、共に精進して参ろうぞ。