令和2年11月28日

 ここ最近、コロナウイルスによる感染者が増えいると頻繁に見聞きするようになった。予防意識から検査する数の増加によって、その数値も増えているように思えもするが、取りも直さず、まずは感染することのないようにせねばならぬ。よって、稽古以前に日頃からの予防対策を手抜かりなく講じて頂き、また、健康維持の為の生活習慣、食生活、また、余計なストレスを溜めぬようにされたい。

 

 そして、稽古の際、消毒は勿論のこと、体温の管理を行い、その記録はきちんと保管しているが、このような対策をしつつも、心配が拭い切れず、稽古を休むのは仕方なくも、場合によっては退会の希望をも届く。無論、強制や義務ではない為、執拗には止めず、その意向を受け付けはするが、こちら側での扱いを休会という形にする場合もある。

 

 その理由はだ、何らかの初動により初め、様々な気持ちを抱いた中、時に辛くも続けて来たのである。長くも短くも、その判断は個々によるものだと考えはするが、せっかく続けたのであれば継続をされたく、何度となく記しているが、継続こそが自信なれと思うのだ。だからこそ続けられたく、また、何かの拍子に後悔めく念があったならば、戻ってこられるようにと…

 

 平たい言い方ではあるが、仮に休んだとて、再開すれば継続ともなろう。だが、退くという決断をしたならば、次の機会には改めての機会となり、以前には…といった言い方になる。せっかく始めたのである。ましてや武道であって、様々な種目がある中での武道。個人的な印象の範囲ではあるが、武道というものは一般的な他のスポーツとは異なる部分が多いように思え、派手さはなくも字面の通り「道」であろうと思う。向き合うは己とも考える。己と向き合うは人とも向き合い、人と向き合うは己と向き合うことになる。

 

 これからの時代、どうなるのかと不安にもなるが、何はともあれ自らには自信を持たれたく、威張ったり誇張したり体裁だけの自己主張ではなくして、心なる芯からの強さにて生きてほしいと願って止まない。その為のほんのほんの些細なれども機会になればと常に思う。未熟者の故、どれだけのことが出来るのかは不確かだ。だが、出来ることもある。それは共に続けること。共に精進すること。そして、何かの折、戻ってこられる場所を保持すること。