令和元年5月6日

令和!まだ言い慣れず、書き慣れずも時は変わった。変わるもの、そして、変わらぬものが存在する中で、何を変え、何を変えぬかと迷うこともある。置かれた立場、状況により判断が変わるものだと思うのだが、少なからず変えてはならぬものもあるように思う。

 

ことの稽古に於いては同じことの繰り返しとなる。何がどうしてこの稽古を…と思うことがあれば、動き回りたい衝動を抑えての稽古となることもある。それは時に退屈だったり、じれたかったり、面倒だと思うこともあろう。空手という稽古に於いてそれが出来ずとも、日常に於いては何の問題もなく支障とはならない。ただ、意にそぐわないことがあれば、嫌々ながらにしなければならにこともある。そんな時どのように振る舞い、振る舞えるのかと…

 

空手といえば組手と形に分かれ、その稽古をする訳だが、勝敗を優位に意識するのではなくしての稽古としたく、それは続けることでの自信、または価値ともしたく、週末の僅かな時間の積み重ねが他ならない貴重な時間となり、時は変われども、積み重ねた経験は変わることがないと信じ、我は続けていく。