平成30年11月24日

礼に始まり礼に終わる。

 

様々な分野に於いても同様のことだと思うけれど、礼儀を重んじたく、また、正座をする機会が少なくなった昨今、このような時間が大事であり、必要だと考えている。ことに正座なれば、座るに足が痛く、後に痺れもする。しかし、その痛みたるや、誰からの影響でもなく、自重によるものだ。つまり、自分自身が痛みの根源であり、いくばくかの時間、それを耐えることになる。

 

黙想という時間の中での正座なれば、心を静め…ということながらも、おそらく多くの子供達には我慢だけの時間に違いない。だが、例え我慢であったにしても、その痛みは自らの痛みでありながら、同様のことをする人の身になれば、おおよそ同じような痛みを負っているものだと考えることができる。これにより自らの痛みを通して他の人の痛みを知り、感じることができる。故にこの時間が貴重に思う。

 

そして、何より正座をする姿が何とも格好よく、凛々しく、見るに感動すらする。よって、こちらは正座せずとも、足はもとより体中が痺れもする。